2017-06-15

少数派であること



小さな時から孤独を好んでいた。
少数派で居ようとおもったわけではないから、好んでいたというより結果的に少数派だった。

「少数派であること」によって、良い面と悪い面を両手で抱えこみ、行ったり来たりする思想をまとめたものをオリジナルの「価値観」として心に宿どすことを覚え、それを盾にして自分を守るしかなかったのだ。

小学校への通学途中に流れる川面を見つめ、「なぜ今私はここに居るんだろう」と幾度となく考え歩いていたことを当時は誰にも言わずにいた。
心のどこかで、大人に「正解はこれだ」と教えを説かれてしまうのが嫌だったのかもしれない。

経験から言うのだから寸分の狂いもないと言わんばかりに。
あなたのためだ一度だって間違いを犯さぬようにと。
間違うことがいけないことなのかと錯覚してしまうほどに。
守ってやると正義を語るヒーローを演じるかのように。

噴き出す感情や芽を出す疑問に対して、本能のままに夢中になり自分サイズで試行錯誤する。
その押し問答や創作、工夫をただただ見守り、行き詰まり反省し、どうにもならないと求められたときにこそ実体験に基づく必要最低限のあなた自身の考えを言葉に変えることが「教える」ということだ。

そもそも「教える」などと押し付けがましい響きが気に入らないので、「共に考える」としたい。
嫌だと思っていた失敗を恐れている大人たち。
私も気がつけばそんな大人の一人になってしまったのかもしれない。