2017-06-15

少数派であること



小さな時から孤独を好んでいた。
少数派で居ようとおもったわけではないから、好んでいたというより結果的に少数派だった。

「少数派であること」によって、良い面と悪い面を両手で抱えこみ、行ったり来たりする思想をまとめたものをオリジナルの「価値観」として心に宿どすことを覚え、それを盾にして自分を守るしかなかったのだ。

小学校への通学途中に流れる川面を見つめ、「なぜ今私はここに居るんだろう」と幾度となく考え歩いていたことを当時は誰にも言わずにいた。
心のどこかで、大人に「正解はこれだ」と教えを説かれてしまうのが嫌だったのかもしれない。

経験から言うのだから寸分の狂いもないと言わんばかりに。
あなたのためだ一度だって間違いを犯さぬようにと。
間違うことがいけないことなのかと錯覚してしまうほどに。
守ってやると正義を語るヒーローを演じるかのように。

噴き出す感情や芽を出す疑問に対して、本能のままに夢中になり自分サイズで試行錯誤する。
その押し問答や創作、工夫をただただ見守り、行き詰まり反省し、どうにもならないと求められたときにこそ実体験に基づく必要最低限のあなた自身の考えを言葉に変えることが「教える」ということだ。

そもそも「教える」などと押し付けがましい響きが気に入らないので、「共に考える」としたい。
嫌だと思っていた失敗を恐れている大人たち。
私も気がつけばそんな大人の一人になってしまったのかもしれない。



2017-06-06

こつこつとやれば何かができる 2


こつこつと草取り。


【5日目】草取りと石掘り

【6日目】草取りと石掘り

【7日目】草取り

【8日目】草取り

足るを知るために、最低限の道具でやろうとあるものでこつこつ。
とはいえ、右端の剪定バサミは新潟燕三条の高級鋏。



とった草を乾燥させるために放置。
すると、その草の下は昆虫達のお布団になる。


6日目から、小さい鎌での石掘りに限界を感じ始めたので、大きい鎌を引っ張りだしてきた。

7日目から、石掘りの大変さに気がついて、とりあえず生育力の大きな草を刈ろうと方向転換。
同時に、アシナガバチの巣を発見。怖くて近づけず父に言うも、スプレーの在り処をおしえてくれただけだった。

8日目から、アシナガバチを駆除。写真に写っていない左側の草取りを黙々と進める。
途中、具合いが悪くなったので、ここまでとか決めてやっていたノルマみたいのをやめた。


水田に水が入り、稲の苗が植わり、蛙の合唱が始まった。
水が入ると、蛇が出るのでビビりながらの藪除草。
耳を澄ませると、鳥の声や昆虫たちの羽音や足音、葉の揺れる音が聞こえてくる。

大自然の中へ行かずとも、自然はごく身近なところにあるんだなぁと感じる。原点回帰。気が付けなくなっているだけなんだなぁ。