2020-09-07

なからにやる

 




先日朝、日課の水やりをと戸外へでると、軽トラがスーッと我が家に入ってきました。うん?見覚えのある顔。確かではない、でも確実に知っているお顏。『丁度よかった!階段上らなくて済む!これ、ナガノパープルね!』と、2房のぶどうを手渡されました。

待ち望んでいた大好物のぶどう。お礼をいいながら、さらりと「お名前伺ってもいですか?」と尋ねると、同級生のお父様でした。

友人とお顔が似ていないからぴんと来ないのもあるのですが、散髪したての清々しさもあり、両親の同級生でもある友人の父は我が家の初老夫婦よりも艶があり若く見えるのです。

以前は、申し訳なさと聞きにくさで流すこともあった「あなたのお名前なんてーの?」のお尋ねですが、歳を重ねるにつれて図々しくなるといいますか、そんな繊細さはもっと違ったところで発揮したほうが善いといいますか、恥ずかしさなんてどんどん剥がれていくのもまた面白く快感を覚えるのです。


その夜、早速友人と連絡のやり取りを。互いに弱さ脆さを知っている仲、感謝を述べつつ締めくくりに「ぼちぼちやってこうぜ」と添えると、「なからにやってこう」と返信が。


「なから」というのは方言なのですが、「適当、適度、まぁまぁ、ほどほどに」といったニュアンスで使うことが多く、同郷だからこその方言使いが胸に響き渡りました。


祖母がいたときは方言を多用しての会話が楽しみのひとつでしたが、現世を全うして以来祖母を失い、同時にコテコテの方言の会話を楽しめる時間をも失ってしまったことにも気がつきました。



「なから」で生きるには、まぁまぁこんくらいかなぁというところで止めておく。「自分の限界値を知っているかどうか」がカギとなります。単純なことほど、難しいもの。

暑さ残る夏の終わり、そして寒さ感じ始める初秋。どんな季節も健やかに過ごす秘訣は「何事もほどほどにしておく」なのかもしれませんね。

2018-01-10

上達すること。



とある自己紹介。
写真がうまくなりたい。

私もそう思うことがあった。
途端に写真を撮れなくなった。
楽しさを忘れた。
数年前、かつての話。

愛さんって、ガチの写真を撮るんですね。
あ、そうなんです。
女子フォトみたいの撮れないんです。

上手くって何?

常に写真機を持ち歩き、撮り続ける。
切り取るものへの情念。
それがあるかないか。
比べず、自己完結。
それがいいとおもう。

撮っても撮っても、
下手くそで、終に放る。
なん年か経って見返す。
撮った瞬間の全てを思い出す。
思いがけぬ良さを見つける。

ただ楽しくて撮ってる写真は、
どれもこれも光っている。
いいね!とおもう。
その感動を手放すくらいなら、
写真をうまくなんかなりたくない。

2018-01-05

スパイス的ミニマリズム。




ミニマルな生活を送って8ヶ月。
食べて、寝て、動く。
行動範囲は市内のみ。

あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
広域に渡って活動する利点ばかり見ては、
そんな人たちを羨んでいる。

1人の人間が把握できる範囲を考える。
範囲は広がれば広がるほど、
身近なヒトモノコトを見落とす率が上がる。

動ける範囲で出来ることをする。
隣町へ行けるようになる時は、
会いたい人に会える時と心得る。

仕方なく身動きが取れない状況は、
生活をより豊かに彩るスパイスとなる。
続けてみると、地味さが愛おしい。
制限があるのも悪くない。

2017-09-26

折に触れて、SNSに思うこと。



年に数回、ぼーっと、しかし、ぐるぐると、考える。

昨夜、都内で暮らす友人と久しぶりに連絡を取った。
離れていてもゴシック文字の往来による【会話】ができるメッセンジャーで。
文字は書くのではなく打つのが、今では当たり前となった。

途中、かつて皆楽しんでいたSNS、ミクシーの話になった。
ものすごいスピードで盛り上がり、一気に廃れた。
御多分に洩れず、私もハマった。
現実に在るようで現実には無い世界。
”あんなに賑やかだったのに、今は誰もいないし何も動いていない、ちょっと怖いな”
と文字を打つ。

世界中と繋がれるフェイスブックの今は、高齢者の支持が厚いらしい。
離れていく同世代に聞くと「面倒くさい」とか「情報のひとり歩きや繋がりが気持ち悪い」とか
「繋がりたくない人とも繋がらなきゃいけない」とか「書くことがない」とか様々な意見がある。

私は時々、取り憑かれたように考える。
SNSに写真を載せることに意味があるのかな。
あの人嫌がってはいないかな。
いいね!なんて幻想だ、とか陰的な考えを重ねていく。

気に入っているインスタグラムで、大量の♡マークをもらうユーザー。
カフェ巡りや食をアップしている人を見ると大変心配になる。
毎日外食で、こんなに甘いもの食べてて大丈夫なのかぁ。
糖尿病になっちゃうんじゃないかと。
ただのお節介に過ぎないのだけれど。
趣味なんだし、思う存分やっていいと思う。
けれど心配してしまうのである。

心を通わす、実際に会う、手紙を送る。
そんなことが主流だった過去が懐かしいと時より強く思う。

個人的にはフェイスブックをイベントの詳細を確認する場所として置いている。
一定のサイクルで、手放したくなる気持ちにかられる。
もっと淡白に、ドライになっていくデジタルの世界。
人間は進化する。
操られることに危機を感じる生き物だ。

写真を好む種類の生き物が、どこで写真を見せるのか。
自己満足なのか。だとしても、それはいけないことなのか。
なぜ見せたいと思うのか。シンプルに良いと思うから。
ぐるぐると、とんでもないところまで考えが飛躍する。

現実をただ切り取ることに優れている写真。
そこに幻想を塗り重ねて、見栄えを良くすると好まれる。
ありのままを受け入れられない民族。
考えることをやめてしまった民族。
うわべを取り繕う分厚い皮の民族。
だから、シャッターを切る。

最終的に【なぜ写真を撮るのか】という大きなテーマにたどり着くのが
一連の思考の収まり場所となっている。

2017-09-09

カメラのこと


富士フィルムのカメラが欲しい。
なぜなら、今のカメラは撮る時に緊張感を放つ人が多いからだ。
話をして撮るといい顔になる。
けれど、話をした時点で相手は写真に撮られることを意識する。
撮られる回数が増えていけば、その構える姿勢はどんどん薄まっていく。
信頼を得て、皆ゆるんでゆく。
でも、時間は限られている。
体力は日に日に落ちてゆく。
だから、小さいカメラが欲しい。
そして、何を切り取るかが重要で、カメラの種類なんかなんだっていいってことを身を以て感じたい。
素敵な写真をとる人だなとおもうと、富士フィルムなのだ。
レンズが好みなのだとおもう。

2017-07-24

こつこつ番外編【イラスト】

魔の4ページ目

姉が描くのをやめたページ。
4日目の飽き。
4日目のマンネリ。
容赦無く襲う魔性のページ。

乗り越えました。
乗り越えたらふっと上達した。
そんな気がしませんか?

ごちゃごちゃっと描く方が
それっぽく見えるのは
力を抜く加減がわかったからかなぁ。
あぁ、人生も一緒だなぁ
なんて思うわけで。

グレーゾーンだったり
曖昧さだったり
不誠実なのではなくて
敢えてボカして遊びを作ると
核が際立って見えるんだね。
それを知りました。

最後までやるのだろうか。
ここまできてようやく
描く楽しさを感じ始めた。

こつこつシリーズ。
涼しくなったら草取り。
やりたくて仕方がない。


2017-07-18

こつこつ番外編 【イラスト】

何にも考えない時間を、どう作るか。
絵を描くのが好きなので、家にあった姉のやりかけのイラスト練習帳を始めた。

15分でできる!と、謳っている。
が、正確性にこだわる私は色付けまでやると1時間くらいかかる。
また気がつくと根を詰める状態。
昨日はお喋りしながらやっていた。
案の定、下書きした線を間違えてなぞってしまい、内心「あぁ…!」と悔しさに苛立つと共に、気が楽になった。

そして本日、また間違えた。
でも、それが私の描く絵なのだから、間違えというより「色」なのだろうと思う。既に見たことのある何かと比べて、差があることに違いを感じても、誤りではないのだとおもう。僅かながら描くスピードが上がるようになったので、細かな描写を盗んでやるつもり。

さぁ、私はいつまで続くのかは誰にもわからない秘め事。