2016-11-12

ツナ缶にされた鮪の瞳



わざわざへのヒカリ

わざわざさんというパン屋さんへ行くときに撮った一枚。
高速なんて滅多に乗らないけど、トンネルから抜ける瞬間が好きだ。

鮪は、まさか自分がツナ缶になるだなんて思ってない。
泳いでいたら捕まって、缶詰にされる。
「うまい」と言われたらほんの少し気が晴れるのだろうなぁ。

缶詰になって過ごしている。
自分にできることを増やそうと思って。
チラシなど作ったことがないので、色々と勉強になっている。
間に合うかわからないけど、できたら銀座で配られる。
ザギンのマダムにウケる高級感というのを思い浮かべている。
結局は、「愛」だな。
それを一杯詰めたらマダムにも伝わるはずだ。
プレッシャーを感じている。
どう見せるか。
伝えたいことをどう伝えるか。
人は見た目にすぐ騙される。
思考が止まらない。
著作権とか面倒臭い。
ルールに縛られるのって息苦しい。

東京ってたまに行きたくなる。
余白がなく高速で進むあの街。
空気の悪さに倒れても欲望が湧いてくる。

今夜は小さな友人と手巻き寿司パーティー。
今週は見えている光に向かって進むだけ。
来週は新潟湯沢まで小旅行。
滅多に県を超えない田舎者。

もう大海原にいるのに、涙は潮に混じるのに。
悲しいギターがラジオから聞こえてくる朝。
次の曲は「マイルスデイビス」。

2016-11-11

老いていく不安と喜びと



 子供と孫と曾孫と涙


敬老の日
泣きながら、地元寿司屋「司寿し」の握りを頬張る。
集合写真を撮ろうとすると、おっかない顔になっちゃう。

死ぬ準備みたいなのを始めて、夜になっては呼び出しを受ける。
どうも調子がいつも通りでないと、「伝えたいこと」が生まれてくるようだ。
そんな時は必ずその老体に手を触れてから帰路につく。

性別、年齢、宗教、肌の色、生い立ち。
何だろうと、不安になり寂しさを感じる時があるのがホモ・サピエンス。
すぐに駆けつけてくれる「人」がいる幸せを口から溢し、涙を流す。
そんな人生の決算期を記録する孫。
それが私。



2016-11-10

ちょこれいとプレイ



ちよこれいと ぱいなつぷる ぐりこ


今見据えるべきは如何に階段を早く下るか。
ぐーか、ぱーか、ちょきか。


噂話という類の話。
一見、表面上では心配している風に進む会話。
どうだっていい。
他人のことなんか放っておけばいい。
見守ればいい。
冷めた視線を向ければいい。
心からの言葉でないのなら聞き流せばいい。
そこで止まるからそこから抜け出せない。
一つを終え、一つを始めればいい。

人間社会の秩序を更新するには「怒り」を表現すればいい。
恐怖心は人の心を煽り、心理の深いところに作用する。
人間は怖れから逃れたい。
生命を脅かす対象を打ちのめしてなかったことにしたい。

マイナスに見られがちな気持ちの変化。
その奥の方に何があるのかを見極める。
譲ることなどできない。
何を鎮座させる?