2017-09-26

折に触れて、SNSに思うこと。



年に数回、ぼーっと、しかし、ぐるぐると、考える。

昨夜、都内で暮らす友人と久しぶりに連絡を取った。
離れていてもゴシック文字の往来による【会話】ができるメッセンジャーで。
文字は書くのではなく打つのが、今では当たり前となった。

途中、かつて皆楽しんでいたSNS、ミクシーの話になった。
ものすごいスピードで盛り上がり、一気に廃れた。
御多分に洩れず、私もハマった。
現実に在るようで現実には無い世界。
”あんなに賑やかだったのに、今は誰もいないし何も動いていない、ちょっと怖いな”
と文字を打つ。

世界中と繋がれるフェイスブックの今は、高齢者の支持が厚いらしい。
離れていく同世代に聞くと「面倒くさい」とか「情報のひとり歩きや繋がりが気持ち悪い」とか
「繋がりたくない人とも繋がらなきゃいけない」とか「書くことがない」とか様々な意見がある。

私は時々、取り憑かれたように考える。
SNSに写真を載せることに意味があるのかな。
あの人嫌がってはいないかな。
いいね!なんて幻想だ、とか陰的な考えを重ねていく。

気に入っているインスタグラムで、大量の♡マークをもらうユーザー。
カフェ巡りや食をアップしている人を見ると大変心配になる。
毎日外食で、こんなに甘いもの食べてて大丈夫なのかぁ。
糖尿病になっちゃうんじゃないかと。
ただのお節介に過ぎないのだけれど。
趣味なんだし、思う存分やっていいと思う。
けれど心配してしまうのである。

心を通わす、実際に会う、手紙を送る。
そんなことが主流だった過去が懐かしいと時より強く思う。

個人的にはフェイスブックをイベントの詳細を確認する場所として置いている。
一定のサイクルで、手放したくなる気持ちにかられる。
もっと淡白に、ドライになっていくデジタルの世界。
人間は進化する。
操られることに危機を感じる生き物だ。

写真を好む種類の生き物が、どこで写真を見せるのか。
自己満足なのか。だとしても、それはいけないことなのか。
なぜ見せたいと思うのか。シンプルに良いと思うから。
ぐるぐると、とんでもないところまで考えが飛躍する。

現実をただ切り取ることに優れている写真。
そこに幻想を塗り重ねて、見栄えを良くすると好まれる。
ありのままを受け入れられない民族。
考えることをやめてしまった民族。
うわべを取り繕う分厚い皮の民族。
だから、シャッターを切る。

最終的に【なぜ写真を撮るのか】という大きなテーマにたどり着くのが
一連の思考の収まり場所となっている。

2017-09-09

カメラのこと


富士フィルムのカメラが欲しい。
なぜなら、今のカメラは撮る時に緊張感を放つ人が多いからだ。
話をして撮るといい顔になる。
けれど、話をした時点で相手は写真に撮られることを意識する。
撮られる回数が増えていけば、その構える姿勢はどんどん薄まっていく。
信頼を得て、皆ゆるんでゆく。
でも、時間は限られている。
体力は日に日に落ちてゆく。
だから、小さいカメラが欲しい。
そして、何を切り取るかが重要で、カメラの種類なんかなんだっていいってことを身を以て感じたい。
素敵な写真をとる人だなとおもうと、富士フィルムなのだ。
レンズが好みなのだとおもう。

2017-07-24

こつこつ番外編【イラスト】

魔の4ページ目

姉が描くのをやめたページ。
4日目の飽き。
4日目のマンネリ。
容赦無く襲う魔性のページ。

乗り越えました。
乗り越えたらふっと上達した。
そんな気がしませんか?

ごちゃごちゃっと描く方が
それっぽく見えるのは
力を抜く加減がわかったからかなぁ。
あぁ、人生も一緒だなぁ
なんて思うわけで。

グレーゾーンだったり
曖昧さだったり
不誠実なのではなくて
敢えてボカして遊びを作ると
核が際立って見えるんだね。
それを知りました。

最後までやるのだろうか。
ここまできてようやく
描く楽しさを感じ始めた。

こつこつシリーズ。
涼しくなったら草取り。
やりたくて仕方がない。


2017-07-18

こつこつ番外編 【イラスト】

何にも考えない時間を、どう作るか。
絵を描くのが好きなので、家にあった姉のやりかけのイラスト練習帳を始めた。

15分でできる!と、謳っている。
が、正確性にこだわる私は色付けまでやると1時間くらいかかる。
また気がつくと根を詰める状態。
昨日はお喋りしながらやっていた。
案の定、下書きした線を間違えてなぞってしまい、内心「あぁ…!」と悔しさに苛立つと共に、気が楽になった。

そして本日、また間違えた。
でも、それが私の描く絵なのだから、間違えというより「色」なのだろうと思う。既に見たことのある何かと比べて、差があることに違いを感じても、誤りではないのだとおもう。僅かながら描くスピードが上がるようになったので、細かな描写を盗んでやるつもり。

さぁ、私はいつまで続くのかは誰にもわからない秘め事。










2017-06-15

少数派であること



小さな時から孤独を好んでいた。
少数派で居ようとおもったわけではないから、好んでいたというより結果的に少数派だった。

「少数派であること」によって、良い面と悪い面を両手で抱えこみ、行ったり来たりする思想をまとめたものをオリジナルの「価値観」として心に宿どすことを覚え、それを盾にして自分を守るしかなかったのだ。

小学校への通学途中に流れる川面を見つめ、「なぜ今私はここに居るんだろう」と幾度となく考え歩いていたことを当時は誰にも言わずにいた。
心のどこかで、大人に「正解はこれだ」と教えを説かれてしまうのが嫌だったのかもしれない。

経験から言うのだから寸分の狂いもないと言わんばかりに。
あなたのためだ一度だって間違いを犯さぬようにと。
間違うことがいけないことなのかと錯覚してしまうほどに。
守ってやると正義を語るヒーローを演じるかのように。

噴き出す感情や芽を出す疑問に対して、本能のままに夢中になり自分サイズで試行錯誤する。
その押し問答や創作、工夫をただただ見守り、行き詰まり反省し、どうにもならないと求められたときにこそ実体験に基づく必要最低限のあなた自身の考えを言葉に変えることが「教える」ということだ。

そもそも「教える」などと押し付けがましい響きが気に入らないので、「共に考える」としたい。
嫌だと思っていた失敗を恐れている大人たち。
私も気がつけばそんな大人の一人になってしまったのかもしれない。



2017-06-06

こつこつとやれば何かができる 2


こつこつと草取り。


【5日目】草取りと石掘り

【6日目】草取りと石掘り

【7日目】草取り

【8日目】草取り

足るを知るために、最低限の道具でやろうとあるものでこつこつ。
とはいえ、右端の剪定バサミは新潟燕三条の高級鋏。



とった草を乾燥させるために放置。
すると、その草の下は昆虫達のお布団になる。


6日目から、小さい鎌での石掘りに限界を感じ始めたので、大きい鎌を引っ張りだしてきた。

7日目から、石掘りの大変さに気がついて、とりあえず生育力の大きな草を刈ろうと方向転換。
同時に、アシナガバチの巣を発見。怖くて近づけず父に言うも、スプレーの在り処をおしえてくれただけだった。

8日目から、アシナガバチを駆除。写真に写っていない左側の草取りを黙々と進める。
途中、具合いが悪くなったので、ここまでとか決めてやっていたノルマみたいのをやめた。


水田に水が入り、稲の苗が植わり、蛙の合唱が始まった。
水が入ると、蛇が出るのでビビりながらの藪除草。
耳を澄ませると、鳥の声や昆虫たちの羽音や足音、葉の揺れる音が聞こえてくる。

大自然の中へ行かずとも、自然はごく身近なところにあるんだなぁと感じる。原点回帰。気が付けなくなっているだけなんだなぁ。



2017-05-28

色気付く94歳




デイサービスに遊びに行くようになってから
「指輪してぇなぁ」と言い始めた咲子さん。

「じいちゃんのこと好きだった?」と聞けば、
「なんとなく 嫌いだった」と言う。
「なんで?」と聞けば、
「家柄に違いがあったからなぁ」と言う。

結婚指輪じゃ仰々しいからと言って、
娘に借りたこちらの指輪をはめて登園している。

お見合い結婚で「嫁ぎたくない」と
一度は待ったをかけた咲子さん。

でもあれなんだね、
左の薬指につけるんだね。

2017-05-21

自然からの贈り物





農作業を終えると

西の方が色づいて

遊び心に火がつき

階段を駆け上がる

淡い淡い色を重ね

深い色彩波となる

明日はもうそこに

全宇宙のかけらを

今日はこの手中に






2017-05-16

こつこつとやれば何かができる


元々、プレハブ小屋が建っていた。
言葉少なくいつも笑顔で迎えてくれたじいちゃんの兄弟のおばちゃんが住んでいた。
移動は全て徒歩だったから、年中真っ黒で、一緒に捕まえたイナゴを食べていたのを覚えている。
そして何かの縁か、私も10年程前にプレハブ小屋に自室として住み始めた。
おばちゃんのそれとは、ちょっと違うけれど、環境の厳しさは同じだとおもう。

こつこつとやれば、必ず出来ることを身を以て感じたいと思った。
畑をやりたいとおもったから、やってみることにした。

勤め先の宮﨑農園の宮﨑さんという、生きた辞書がそばに居てくれるのだから、今やればいいと思えた。

Mission 1 ▶︎ 
石があるなら石を取り除け!

大好きな草取りもできて、除草もできて、一石二鳥だなぁ。
もはや草取りではなく、石掘り。

治療中の気分転換と、身体慣らしを兼ねて、1時間から2時間。
それだけで、疲労感はタップリと、心拍数も早くなる。
外仕事をする世の人々を、本当に尊敬する。

まだまだ回復途中。
少しずつでも、こつこつと。


【1日目】草取り石掘り

【2日目】草取り石掘り

【3日目】草取り石掘り

【4日目】草取り石掘り


2017-03-16

連綿と







ふと思いついて
はたと仕掛ける

思い描く理想と
見える現実との
そのちっちゃな隙間に
押し込めて抑える

限りあることから
限りなきことまで
飾り立てず
連綿と事を成す



2017-02-17

世は相持

園庭でドッジボール。
それから30年もの間、知っている人がいるとしよう。

すると、もうどこか家族のような関わりとなる。
新しい自分の家族ではなく、生まれてから側にいる家族。

他人様のことを「バカ」などと呼べるような分際ではない。
でも言わずにいられない「愛すべきバカ」がいるとしよう。


過去の自分も
今の自分も
これからの自分も
全部自分として受け入れる。


自分を振り返ってようやく反省し、考えを新たにする。
「バカ」と言われて嬉しそうに笑う彼が今を謳歌していけたらいい。

ここからがスタート。
約束された未来なんてない。
未来を作っていけるのは自分だけ。
自分の足で立ってから共に手を取り合えばいい。



世は相持【よはあいもち】
 この世の中は、自分だけでなく他人もいるので、
 人に尽くしたり尽くされたり、互いに助けあって暮らすことが
 大切であるということ。







2017-01-09

私の朝食は塩っぱいのと甘いのと苦いのでできている。







本日のラジオは、NHK-FM 「今日は一日"デヴィッド・ボウイ"三昧」。
説明をしてくれている女性の声が尋常ではない程しゃがれている。
風邪か酒灼けかちょっと心配になる。




【働き盛り】
 人の一生のうちで、最も盛んに仕事のできる四十代前後の年頃

【働かす】
 そのものに備わっている能力、機能を役立たせる。



ということは、母は63歳で働き盛りを過ぎている模様。
こうして主婦業を兼務してみて感じたことがある。
写真は病に犯される前の元気な母。

朝起きてからまずは食事。
幸いにも父が自分で自分の食事を用意できるようになったので、
5時に起きる人に合わせる必要はない。

でもその前に洗濯機を回す。
これ初めにやらないと食後円滑に動くことができない。
全自動って有り難い。
洗濯板だったら半日仕事、それが一時間で済む。

珈琲豆を挽いて、芳しい液体を抽出。
同時にトースターを温めて、今日のパンを選ぶ。
川中島の「ベッカライ」さんか、近所の「ちゅら雲」さんか。
結局は両方を温める。

・・・アリサンのピーナッツバター
・・・小林養蜂技研のアカシヤ蜂蜜
・・・四ツ葉バター
・・・岩塩
・・・Foret coffee new years blend



淹れた珈琲を父に捧げ、その合間に食器を片付ける。
朝食は外の景色を眺めながら頂く。
今日一日どんなお天気になるだろう。

そうこうしてると、洗濯機が役目を終えて騒ぎ出す。
朝食の片付けをしながら、昼食の準備をする。
お米をとぎ、冷蔵庫を一通りみながらメニューを考える。
足りないものはホワイトボードへ書き出して。

洗濯物を取りに行きながら、掃除機がけを決め込む。
ぐずついた空だけど、外に干すのが我が家流。
干し終えると、掃除機がけ。
甥っ子が来ると埃の量が尋常でない。なぜ。

見通しも立ったところで、作業部屋に降りる。
一時間作業をして、昼食を作る。
45分勝負。配達の時間も込みだ。
残り物を交えながら、二品ほど新たに作る。
父へ作りたてホヤホヤを12時に配達する。

稼業の花屋の事務所を片付けながら、食事をセッティング。
お客様がご来店、珈琲を落とす。
きのこのお土産をいただいた。
夜はジコボウを大根おろしとお味噌でいただこう。
本当有り難い。

郵便を出しにポストへ車を走らせる。
帰ってきて母と昼食をいただく。
食後に叔母が来訪。
お茶をお出しして、しばし歓談。

昼食の片付けをして、買い出しを今日するか悩む。
今日は成人式で混んでいたら嫌なので、明日にする。
夕飯の下準備をして、とりあえず作業場へ降りて作業に就く。


暮らしって、生きるって、食べることが中心だと思う。
こんなに動いて色々とやっているのに、
私は毎晩今日は何もできなかったと感じる。

心の中で唱えている呪文。
0より1。
限りなく0に近い1を。

無償の愛は、音も光も匂いもなく、そこにある。
さぁ、今日もあと数時間。
お金でなんか換算させない。
自分を働かそう。



2017-01-04

手と足と及び腰




焼きついた赤い岩肌と、黄色に輝く砂埃のあの土地が見える。
過去にしがみついて、水たまりの上澄みの水面を揺らす。
蒸し返すような匂い。
心臓を掴まれる錯覚。



ハードディスクがお釈迦様になられて、今さっき心の中で葬った。
写真をデジタルで撮るようになってから、
悲しさの混じった言いようのない恐怖感が常にある。
手放したくなる。
こんなものなくてもいいと思う。

アナログの安心感。
この手で触れられるものへの揺るぎない存在感。
手にしたい想像の中のぼんやりとした暖かくて息もできない何か。

こんなものなくなればいいのに。
こんなもの捨てちゃえばいいのに。
思い切りの悪さが足踏みを助長する。
依存辛。
過去の自分に。