先日朝、日課の水やりをと戸外へでると、軽トラがスーッと我が家に入ってきました。うん?見覚えのある顔。確かではない、でも確実に知っているお顏。『丁度よかった!階段上らなくて済む!これ、ナガノパープルね!』と、2房のぶどうを手渡されました。
待ち望んでいた大好物のぶどう。お礼をいいながら、さらりと「お名前伺ってもいですか?」と尋ねると、同級生のお父様でした。
友人とお顔が似ていないからぴんと来ないのもあるのですが、散髪したての清々しさもあり、両親の同級生でもある友人の父は我が家の初老夫婦よりも艶があり若く見えるのです。
以前は、申し訳なさと聞きにくさで流すこともあった「あなたのお名前なんてーの?」のお尋ねですが、歳を重ねるにつれて図々しくなるといいますか、そんな繊細さはもっと違ったところで発揮したほうが善いといいますか、恥ずかしさなんてどんどん剥がれていくのもまた面白く快感を覚えるのです。
その夜、早速友人と連絡のやり取りを。互いに弱さ脆さを知っている仲、感謝を述べつつ締めくくりに「ぼちぼちやってこうぜ」と添えると、「なからにやってこう」と返信が。
「なから」というのは方言なのですが、「適当、適度、まぁまぁ、ほどほどに」といったニュアンスで使うことが多く、同郷だからこその方言使いが胸に響き渡りました。
祖母がいたときは方言を多用しての会話が楽しみのひとつでしたが、現世を全うして以来祖母を失い、同時にコテコテの方言の会話を楽しめる時間をも失ってしまったことにも気がつきました。
「なから」で生きるには、まぁまぁこんくらいかなぁというところで止めておく。「自分の限界値を知っているかどうか」がカギとなります。単純なことほど、難しいもの。
暑さ残る夏の終わり、そして寒さ感じ始める初秋。どんな季節も健やかに過ごす秘訣は「何事もほどほどにしておく」なのかもしれませんね。